ファイトクラブから考える、資本主義の中での僕たちの幸せと生き方

ファイトクラブ 資本主義本当にただの雑記

人気作品、ファイトクラブを改めて観てみて、資本主義社会の中で、自分がどのように生きるのが幸せなのか、物質的な幸せは本当に幸せなのか、など、色々考えたので、作品の概要と共に意見をまとめてみました。
結構長いので、ファイトクラブを見て心が動かされた方と暇な方に読んでいただけたらと思います。

ファイトクラブとは

『ファイト・クラブ』 (Fight Club)は、1999年公開のアメリカ映画。デヴィッド・フィンチャー監督がブラッド・ピット主演で映画化した作品です。名前が明かされない主人公「僕」はエドワード・ノートンが演じています。

あらすじ

動車会社でリコール調査に従事している“僕”(エドワード・ノートン)は、一流のインテリアに囲まれて物質的には充足した生活を送っていたが、精神的には満たされずに不眠症の日々を送っていた。

ある日、飛行機でタイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)という謎の男に出会う。自由で、マッチョで、自信家。全てにおいて自分とは正反対の彼に、“僕”は強烈な羨望とシンパシーを覚える。

やがて“僕”とタイラーは、メンバー共通のルールのもとで男同士が素手で殴り合う「ファイト・クラブ」という組織を結成。拳と拳を交えることで、生きる意味を見出していく。

しかし、やがて組織はテロリズムに走り出し、コントロールが効かない状態に。そして“僕”は、衝撃の事実を知ることになる……。
ってストーリーです。

ファイトクラブについて

あらすじでもあるように、主人公「僕」は資本主義社会において、お金を稼ぎ、一流のインテリアなどを購入し物質的な満足感は得ているものの、精神的には満足感を得られていません。

ここで表されていることは「物質的充足≠幸せ」ではないという事です。
資本主義社会ではお金を持っている方が幸せ、ブランド品に囲まれている方がすごい、高級家に住み、高級な車に乗ることが幸せであるように、物質的な充足が幸せであるようにとらえられることがありますが、その考え方に関して警笛を鳴らしているように思います。

「物を持つこと=幸せ」という考え

モノを持つことが幸せであるという考えはどのように生まれたのでしょうか。色々あると思いますが、最も強いのは広告やメディアではないかと思います。
羨ましく見えるように映像を制作し、消費者もそれが欲しいように仕向ける。
○○を持っていることがカッコいい、と刷り込み、消費を促す
など、メディアによって行動が促されている、思考かコントロールされているのだと思います。

すごく極端に言うと、資本主義社会の中で、資本家が儲けを得るために、労働者の思考コントロールしているとも言えるかもしれません。

ファイトクラブから考える幸せとは

私たちは日々の生活の中で無意識的に物を求めていることがあるのではないでしょうか。
他人が持っているモノを欲したり、自分を着飾ったり、周りから羨ましく思われるようにブランド品を買ったり。

「広告が俺達に車や服を買わせようとする。そして俺達は嫌いな仕事をして、それを買う努力をする。」

本編の中にあったセリフです。他人にコントロールされた思考で、本当に必要ではないモノを欲し、欲したもののために時間を費やし嫌な労働をする。もはや何を求めて生きているか分からないくなりますね。
今までの自分を振り返ってみても、対してほしくもないけど周りから浮かないようにモノを買うことや、周りの人が持っているのが羨ましくてモノを買ったり、テレビで見たものがすごく思えて買ってみたりなど、本当に欲しかったもの、必要なものでなくても買っていたことが多々あったと思います。
考えてみると、誰かに踊らされていたなと思います。

また、ファイトクラブには以下の言葉も出てきます。

「所有していたモノ達に、気づいたら所有されている」

はっとするセリフですね。自分がモノに支配される感覚ですね。所有物が増えると動きが重くなりますし、思考も柔軟性を失います。しかしながら、モノを追い求めている時にはそんなことには気づかないんですよね。

なぜ僕たちはモノに踊らされるのか?

この理由は大きく2つあると思います。

1つ目は、「躍らせる側にいる人が必至で人を踊らせる方法を日夜考え、技術を進歩させているから」です。
モノを作っている人は、いいものを僕たちに届けようと必死でモノを作り、必死に売る方法を考えています。
この必至に売る方法を考えるという行為によって、僕たちの心を操って、モノを欲しくさせているのですね。

ここで1つ言っておきたいのですが、モノを欲しくなる気持ちは悪いことではありません。
何も欲しなければ、変化はありませんし、改善とかもありません。ただ、行き過ぎた物質主義は自分を苦しめるんじゃないかと思っているだけです。
僕たちの心を操る売る方法も、優れたものを多くの人に届けるための仕組みです。ただ、本当は優れていないモノ、必要のないものを、とてもいいモノであったり、必要そうに見せかけて売ろうとする人たちもいますので、自分でしっかりとして判断をすることが大事ということです。

さて、話がそれましたが、
2つ目は「踊らされている方が楽だから」です。
すべて自分で考えて行動するって大変です。人から指示されてただ動く方が楽なのです。
だから、周りが持っているモノを買う、世間一般で言われる幸せ像を浮かべてマイホームを買い、車を買って・・・見たい画一的な消費スタイルになってしまうのです。また、他人のおしゃれな道具とかを見て、それは他人の幸せなスタイルなのに、持っていない自分を悔しく思い、モノを買ってしまう。
周りから感化されて行動が決まるので、ある意味、楽です。ただ、これって本当に自分が考える幸せですかね?

自分の幸せって?

誰かが考えた幸せ計画じゃなくて、自分の幸せな姿を考える必要があるのだと思います。
どんな状況が嬉しいのか。どんなことをしたいのか。
その考えた結果がモノに囲まれることであったり、豪邸に住むこと、お洒落な家具をそろえることなのであれば、沢山のモノを買うのも悪くないのかも知れません。

僕自身、何が幸せか考えた結果はモノには至りませんでした。
結果は「誰」と「何をしたいか」でした。モノではなくて行動として何を、誰とすることが幸せなのかというところに至りました。
例えば好きな人と旅行に行くとか。そんな単純な事です。

一人一人幸せ像は違うので、それを考えて、そこに向かって頑張ることが幸せなのかもしれません。

最後に まとめ

誰かが考えた幸せ像の中で生きるのは息苦しく、モノに自分を支配される可能性が高いと思いました。
思考を止めないで、本当に自分が満足感を得られること、幸福感を得られることをしたいと。

結論、ファイトクラブは現代において、生き方や考え方を今一度考えなおす機会を与えてくれる映画だとおもいました。お時間あれば是非ご覧になってください。

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